蜘蛛女のキスの6月5日を見た。
6月5日(夜)観劇の感想
の前に!
初日感想でうだうだ書いた割に私が見てきた彼の舞台についてほとんど触れなかったので、触れようと思いま~す!
蜘蛛女の感想を読みたいんだよ!という方はスクロールしてね。
私が初めて忠義ちゃんの舞台を見たのは、04年1月の帝国劇場のDreamBoy。
台詞は2、3言しかなくて、素人の私が一回見れば覚えられた程度だったなぁ。
そのあと梅田芸術劇場で主役が変わったり、翌年に梅田で対KAT-TUNでHeysayDreamBoyもあったけど、とにかくどのドリボも台詞はやっぱり少なくて、アー!とかヤー!とか後ろで叫んでいるだけだった。(自称役名ヤ●ザ3)
そういえば、真鳥だか薮だったかをお姫様抱っこして袖に運んでいくくらいしか見せ場が無い。しかも多分それ見せ場とはいえない。かっこよかったけど。まぁこれは大山田みんなそうだった。すばるの後ろでバックダンサーやったりね。かっこよかったけど。
その劇場でえんやこらせ~のドッコイセ!とか歌わされて(まさかその後それがデビュー曲になるとは知る由もなかった)、グループとしての劣勢にはイライラしてたけど、自担の存在感の無さは結構嫌いじゃなかったかなぁ。
松竹座では、毎年夏にお芝居半分コンサート半分の公演をやっていましたね!
私が見たのはサマーストームとマジカルサマーとアナザーズアナザー。
サマーストーム:爆発のスイッチを押す役。オレンジのボーダーが似合わなすぎてかわいい。二、三言もつもつ喋る。
マジカルサマー:くしゃみが止まらない妖精でうわづった高い声がひたすらかわいいていうか安倉への目覚め……
アナザーズアナザー:弟が死んだり、家族の話をもつもつと話す長めの台詞が数箇所あった。キーパーソンで、結構ドキドキしながら見てた。
過去の自分の記憶とレポを遡ったけど、こんなくらいしか思い出がない(;_;)
だって松竹はコンサートメインって感じだったから、メンバーを見に行ってるけど演劇自体を楽しむというのとは、まぁちょっと違った。
もちろん、デビュー後だんだんと存在感は出てきたけどね、忠義ちゃんは人前で演じることが楽しそうじゃなかったからか、私も舞台での彼の演技には別に期待してなかった。
で、本当だとこの間に滝沢演舞場が入るはずなんですが、劇場の火災により(&その振替公演が平日昼だけだった)見に行けなかったので割愛します^^
恨んでも恨みきれない~!
そしてそして、Endless SHOCK。もうこれも9年前なんだね。
チケット完売後に出演が発表され、(メトロックかな????)なんとか数回観劇。
帝劇の0番に立ってるサーモン色のスーツを纏った忠義ちゃんを2階席から見て、ストーリーが始まる前なのに涙がぼろぼろ溢れて全然まともに見れなかったの、よく覚えてる。(ドリボでは端っこでギャーギャー騒いでただけなのに(;_;)っていう涙)
まぁこの役は正直、かわいさだけでもってるみたいな役だった。それまでずっとオーナー役をやっていた人が事務所を辞めたので枠が空いたんだろうけど、なぜそこで忠義ちゃんに白羽の矢が刺さったのかなぞ。案の定、翌年からはカンパニーの中で一番年上になるベテランがその役回りをやることになった。
オオクラオーナーは、
カンパニーのオーナーだけど、プレイヤーとしての道もまだまだ諦めてませんっ!&大劇場にも行きたいけど親父の劇場を守りたい
っていう他のカンパニーのみんなとは違う立場の難しいダブルスンダードをうまく表現できていたとは思う。絞り出す涙も、悩んでることを抱えて口に出せないでいる表情も、上手いかと言われれば違うかもしれないけど、かわいそうな感じがもどかしくて良かった。
ただなんといってもEndless SHOCKはその醍醐味の一つであるダンスがね、忠義ちゃんってエイトの中ではダンス上手い方に入るはずなのに、光一さんと屋良っちと並んじゃうとどうにも拙くて。プレイヤーとしてまだまだっていう役だったからそれもありと言えばありなんだけどね。
演技もダンスも、その拙さ、若さが、役に合っていたから、成立した。大柄でほにゃほにゃしている雰囲気がカンパニーに厚みを齎していた。先輩たちに愛される「かわいい大倉忠義」としてのポテンシャルを存分に発揮できていたと思う。ていうか顔がかわいい。
そういえばね、SHOCK後はダンスにキレが出て、光一さん風味のメッセージ性のあるダンスになってて、ブリュレとかマジ最高だった。あんまり長続きはしなかったけど…。
ちなみに私、このEndless SHOCK2008で光一さんにドハマリして毎年SHOCK行ってるんだけど、あの時とは振付け師が加わったり演出が変わったりで、かなり芸術作品としてクオリティーも上がってるし、SMGOというテーマがより濃くなってる。コウイチの演技もどんどん強く(?)なってるし、年上オーナーがいることによって完璧ではないコウイチの人間味みたいなのも出てきて、よりドラマチックになった。
あ、SHOCKの話じゃなかった。SHOCK語り出すとこれも止まらないから…。。
そしてオオクラ以降のSHOCK観劇後、帝劇地下道を歩きながら思うのは「今のEndless SHOCKに今の忠義ちゃんが出たらどうなるんだろう」ということ。
特に博貴が出てるのを見た後は必ず考えた。現実的ではないし、一度は交わったけど今はもう別々の道を歩いていることは分かる。
で、しかも、全然想像できなかった。
ライバルでもオーナーでも、あのカンパニーの中に忠義ちゃんがいることがってなんでか想像できない。でもちょっと見てみたいなぁ、どえらい化学変化が起こりそうだもん。
忠義ちゃんが今までやっていた舞台は、事務所の舞台で、ドリボとSHOCKは役名も一緒だし見ている側もどこかコンサート延長線みたいな気持ちだったんだよね。役と忠義ちゃんが切り離せなかった、切り離す必要の無いものばかりだった。
一方蜘蛛女は今までの舞台とは全く違って、ほんとうにカテコで出てくるまで自担の、私がずっと応援している、忠義ちゃんは、いないの。
これすっごく不思議なんだけど~~~(モリーナ)
映像でもそんなこと思ったこと無い。
舞台だからなのかな?時代も国も違う、革命家っていう特殊な役だからかな?完全に忠義ちゃんの影が見えないから、すごい。あるとしたら、数回出る笑い声とコンデンスミルクを舐めて出る声くらいね。(それも台本通りであり自身ではないと6月10日ANNにて本人が主張)
てなところで、5日の感想です。やっと!
この日は台詞がどんどん前に出てくるというのか、走り気味。大勢の前で演じることに慣れてきた?(良くも悪くも)という感じ。飽きるかもしれないというようなことが何かの雑誌に書いてあったけど、飽きたっていうんじゃなくて、「慣れ」。台詞に抑揚がなくてたったかたったか続けていて、ちょっと感情が追っついていないんじゃないか?と思ったけど、後半は落ち着いて喋ってたかな。
モリーナの台詞と噛み合ってないような感じもした。一言一言意味を含ませながら話す方が好きなんだけどな~、と思ったり。
けどそのすぐあとに発売されたTVガイドのインタビューで
「裕美さんに言われたのは、革命家のセリフとして出すことはできても、聞いてる側に‘入ってこない′って。」
「その日、その日に違うことを思うのも必要なのかなって」
「ヴァレンティンもモリーナも繊細で、心の中には何層も何層も感情がある」
「きっと毎日変わっていいというか、日々感じたままに演じていい舞台ではあると思う。(中略)自由に動くということは、そこに意味が発生するってことだから」
というのが書かれていて、腑に落ちた。
今日のは、モリーナの台詞を聞きながら掛け合うというよりもヴァレンティンがガンガン突っかかるっていうパターンだったんだなぁ。何が彼をそうさせたのか、わからないけど。大雨だからか???(絶対に関係ない)(外が雨なのきっと知らない)
しかし渡辺モリーナはいつ見てもブレがない。これもテレガイに書いてあってことだけど、ヴァレンティンの感情を考える上で気持ち悪い?時にいっけい氏も一緒に考えてくれる(=いっけい氏の演じ方に影響される)のなら、モリーナにあまりブレがないのになんで大倉ヴァレンティンはぶれるんだい?
ていうかこの黒レース最高でしたねはい
白いお花を持たされていたようだけど、自分の意見で黒レースだけの方がいいと意見した忠義ちゃんGJ!!!ヴァレンティンって忠義ちゃんが演じるから耽美だけど、正確的には無骨だしね、うんうん、お花はなくてよかったとおもうよ!えっしかもこれの撮影、32才のお誕生日だったの……!?!?尊いねぇ尊いよぉ~(>_<)(>_<)
そうえばこの日、外はゲリラ豪雨で土砂降りだったので、1幕終わりのモリーナ面会中のBGMが外と同じような暴雨、雷の音であったことに気づく。寒くて震えているヴァレンティンに感情移入する。かわいそう。丸まってる。
それ以外にも、今回は上手席だったので、初めてヴァレンティンの表情の変化をよく見ることができた。前回観劇後の私的課題がヴァレンティンの感情の移り変わりに注目するということだったので、良かった。
この舞台、二人の基本立ち位置が決まっているから座席によってどちらに感情移入するか変わると思うんですよね。
あ、わたしの中で勝手にセックス席!とか書いてたくらい、とにかくそのシーンがよく見えたんだけど、それについてはTwitterに書いたんだけど、おさらいしましょう。
ピストン(ゆっくり)➡ピストン(早い)➡回す
ですよ~!
で、終わると爪先が立ってるのがストンって寝るの。んでぐねぐね、ごろんって横に移動。
とはいえ、ヲタクして疚しい目で注目はしてるし、結構重要なシーンだし、男同士のって意味ではキャッチーなんだけど、実際はあっという間なんだよね。
それがつまり、セックス自体ではなくてその前後の二人の気持ちの変化が重要である、ということなのかなぁと。
だってそのあとの、表情がキラキラしているヴァレンティン。映画の続きを聞きたいときの、キラキラした目付きが、もう普通にモリーナに愛情向けちゃってるじゃん。好きじゃん。かわいいと思ってるじゃん。
セックスの目的自体は互いに違ったかもしれないけど、結果として同じ方向を向くようになる。
で、モリーナが電話番号教えて、というところ。
このハグで、なんだか私自身でも信じられないくらい泣いた。なぜかって、(あぁ、両思いだ)って感じたんですよ。ずっと同じ監獄の中にいながら、時に寄り添い、時にそれを退け合ってた二人が、やっと同じ方向を向いてる、という意味で。でも、もうそれは最後の最後の別れる間際っていうのが切ないじゃん。
そしてラストシーンの「そのあと、僕はどうなった?」っていう顔が、黒豹女の続きを聞くときと、重なる。今度話すのは映画ではなくて現実なのに。
「それとも警察におっつかれてしまう?」の泣き顔が凄い、凄かった。物語を真剣に聞いている子供のようで、違う、だってそれ、自分自身の最期ことなんだもん。
でも、ヴァレンティンは、夢の中で戦うことが出来ているの。それこそが、二人の共有している「人間の尊厳」!!!
あと、観劇後に考えた、モリーナが女だったら、というくだらない妄想なんだけど。(6月10日ANNにて高橋優さんが同じことを言っていて、思い出した。)
なぜくだらないかというと、異性なら同じ監獄には入らないから。
たぶん二人が長い時間はかかったし寄り道もしたけど、最後に同じ方向を向くことになったのは、やっぱりそれまでの「寄り道」が無ければないことだと思う。
モリーナは所長の出所と交換条件の依頼がなければ、ヴァレンティンに映画の話はしてあげるかもだけど、政治活動の話は聞かないと思う。加えて、互いにお腹を下すこともない(=心配しあったり、弱いところを見せることもない)。その流れで、双方が母親の話をすることもない。
監獄という環境下で、モリーナが所長からヴァレンティンに話を聞き出すように依頼されていなければ、ここまで2人が近づくことはなかったんじゃないかな。すごいアイロニーなんだけど。
そもそも二人は強制的にあの環境下で共同生活するんでなければ、巡り会わない、惹かれないはず、性格的に。
ここが物語の原点だけど、「全く性格の違う二人が監獄の中で共同生活し、互いに心惹かれあっていくストーリー」なんだよね。
わ~めちゃめちゃ原点回帰じゃないですか。これ舞台見なくても知ってる話じゃないですか。
けど、まぁほんとにそうだなって思ったんだもん。
で、この日の観劇に横山くんがいた。私も幕間のTwitterで知ったんだけど。
自分のツイから。
蜘蛛女見に来たヨコ、2回目カテコまでいて、腕を上げて笑顔で忠義ちゃんを讃えるように大きく拍手してくれてた!本当に最高のお兄さん!それ見たら忠義ちゃん愛されてるなって、こんな素晴らしい舞台をお兄さんに見てもらえて、忠義ちゃんはなんて幸せな弟なんだろうって思って余計泣いた(>_<)
— どれみったん (@mintynights) 2017年6月5日
ほんと、これなんですよ!
自担のソロ仕事の他メンバーからの評価って結構気になるんだよねわたし。
100回泣くことを二日酔いで見に行ったらどっくんの感想とか最高に最高だった。ドラマとか映画ってなかなか見てくれないじゃん、きっと時間とか合わないし。だから嬉しかった!
蜘蛛女は、他メンバーも絶賛舞台中&映画撮影中&レギュラー忙しいって感じで、難しいかなぁ思ってたの。そしたらジレッタ東京楽を終えられたヨコがグローブ座に降臨!!!!!
蜘蛛女初日前に、ジレッタ門前さんを見ていたので、なんだかとても感慨深かった。どんな気持ちで見たのかなぁ。
ヨコって、私の勝手なイメージだけど、初舞台だから、年下だからといって、上から目線で見たりはしなさそう。ヨコからお褒めの言葉はあったかな?きっと、忠義ちゃんにとって励みになるだろうね。
さて次回観劇時の私的課題は、黒豹女との繋がりをもう少し考えたいなぁ。間あいだで別の事件が起きるからなかなか順序立てて思い出そうとすると難しいんだけど。
今のところ考えているのは、
ヴァレンティンが女建築家の方が好きなのはなぜ?=好きな恋人(マルタ)を思い出させるから。彼女を連想させるものには何でも心が惹かれるんですね。これは聡明な上流のイメージ。
イリーナ=モリーナ➡普通の女じゃないから。ヴァレンティンからしたら、子供で、襲う必要がない。(性的対象にならない)
精神分析医=ヴァレンティン=考察好き?外見の部分かな。女たらしで最終的にイリーナを襲うところとの結び付きが考えると難しい。
母親のインテリア➡母への憧れ、女性的 「いつまでも子供だってこと」
疑問点としては、イリーナが檻の前に居る=恋人が危険なのってなんでだろう?ってこと。とか。
そのへん、明日見てこようと思います!
気づけば、蜘蛛女のキスも、もうあと一週間。公演数少ないですね~さびしいな~。。
ヴァレンティンとモリーナが、千穐楽までその世界を駆け抜けられますように。
蜘蛛女のキスの6月1日夜公演を見た。
6月1日夜の感想です~っ。
なんとなく大筋がわかった、単純にストーリーを楽しめる余裕が出てきました…。いやヴァレンティンの相変わらず体は舐めるように見てるけど………
なんか足の形、あんなだったけ……???随分とぺたんぺたんしてて、土踏まずが無くて、親指が変なところから生えてる………
でも一瞬そんなこと考えてる間にどんどんストーリーが展開されてっちゃっておいてけぼりになるので、疚しいことを考えてはいけないのですよ。
まずは初日との違いについて。
初日は異様な緊張感故だったのかもしれないけどモリーナの台詞と、ヴァレンティンの台詞と、観客の雰囲気がどこか切り離されてるような印象だったのが、すごくテンポがよくなって一体感があった。
あとすごく感じたのが、ヴァレンティンのウザさが増してた(笑)
所謂意識高い系の、クラスにいたら絶対関わりたくないタイプの奴になってたね。
特に序盤、映画の内容について全然関係無い話でつっかかってくる時の声なんかめっちゃ意地悪でむかつく~(笑)っていう。パンフにはモリーナが身近にいたらうざい奴って書いてあったけど、ヴァレンティンの方が余程うざいよね。
モリーナのふざけ具合もちょっと増してたような。
パンフ読んだら緊張する場面が続くから、オカマっぽさで笑いがあると良いというようなことが書いてあったけど。
ボロボ~ロ♪ボロボ~ロ♪とか鼻唄歌うのとか、「ハイ!ちゅうも~く!」なんてあったかな?ほんとモリーナかわいいね。
二人芝居だから余計に、関係性の変化が顕著なのかな~。
つぎにモリーナに感情移入しちゃった件について。
お母さんの話が出て「8年なんかすぐだって。刑期の短縮もあるし。」と言われた後にモリーナの顔がグッと変わって恋人の話を聞き出そうとするんだね。「ブレ」が見えるからこのあとの葛藤が映えるってかんじ。最初からヴァレンティン好き♥な訳じゃなくて、お母さんを大切に思ってる部分が重要なのよね。
お誕生日を一緒に過ごしたいのなんかもね。お母さんは登場しないからモリーナの台詞で存在を想像するしかないんだけど、幸せな人生を歩んで、年老いている、ってところとかモリーナに愛情を注いでいているのがわかって、余計に結末が悲しくなる。死んじゃったらどっちも手に入らないのに。
下痢の処理をした後、手紙を書いてあげて体を拭いてあげた後、サンドイッチ作ってくれた後の、ヴァレンティンが素直になって心の孤独が見え始めてから、母親の話をし出すと、モリーナは「仲間の話を聞きたくない」という、だんだん母親<ヴァレンティンになりつつある。
特に刑期短縮の話が出て、お母さんの話題をヴァレンティンに振られた時には「そんなこと考えたくないわ!」って考えるのやめようとするところが、自分で振り切ろうとしているところが切ない。自分のことを待っていてくれている、そのお母さんのために早く出所したはずなのに。
挙句セックスしたあとなんて自分のことだけ考えれば、もうそのまま死にたいとか言い出すしw
もう「いやなことばっかり!!!」の言い方なんかいじらしくて、ヴァレンティン察せよ!!!!という気持ちになった。でも鈍感だから「話し合いをするだけのグループもあるよ」とかトンチンカンなことを言うヴァレンティン。逆効果なんですけど……。。
そして「苦しむのに疲れた」、と項垂れるモリーナ。ヴァレンティンは徐々に自分のことをありのままにモリーナに見せてるんだけど、モリーナのヴァレンティンと母親を天秤にかけなくてはいけないという一番の苦悩の根源は、最後までヴァレンティンにはわからない。もちろん性格云々ではなくて、言う訳にはいかないからなんだけど。もうこっそり言っちゃってもよくない?だめか。
だからこの気持ちのすれ違いがピークの時にセックスするっていうのが虚しいんだよねぇ。。。
んで終えた後の「ありがとう」「俺もありがとう」
俺もありがとうってさぁ、そのなんていうか、言われたから言ったってだけ?でもね、モリーナの手を持って自分の脇腹に当てる仕草が、もう好きなんだよね、それ好きだよねっていう!!!でもいつの間にか自分のベッドに戻っちゃうんだね!薄情なやつめ!!!!
そういえば原作で出てくるモリーナの好きなウェイターの話はすべてカット?
それも外の世界=お母さんという部分を際立たせるためかな。そう考えると、それまでのモリーナの恋愛には触れないし、愛を感じたのは母親だけだと言ってて、片想いだけど好きな人、っていうのはヴァレンティンが初めてだという体なのかな?そんなの余計に、二人の愛が離れ離れになっちゃうのが辛いよぉ~。
好きだなぁと思った演出について。
モリーナがお腹下すところはゆっくり描くんだけど、ヴァレンティンは暗転明けにもう激痛なの、この演出すごく好きだなぁ~。コント的、テレビ的な、あの間ね、流石だなぁってw結構笑えるw
あとはちゃんと1幕終わりと2幕始めのBGMが同じなのとか、ヴァレンティンが下痢して、気づいたら寝ちゃってて、モリーナが「どうなるの?」って右往左往している時に流れる曲と、セックス後に流れる曲とが同じメロディで後者が少しゆっくりなんだよね。ヴァレンティンが素直になってきて、心を開いて、お互いの気持ちがだんだんと接近する合図のようで、それが伏線なのなかなか憎い。他にもシーンの切り替わりで同じBGMが使われているところ、気づいていないだけでありそう。
かわいいヴァレンティンについて。
精神分析医の容姿を話すときにヴァレンティンは自分の髭とかいじいじして「……俺?」って顔してるのがかわいい。知らなかった!けど自分を投影するとしたら精神分析医だって言うとモリーナは驚いたのはそのつもりなかったのかな~。
彼女のことを思い出して、手紙が書きたい!!!と暴れてる時に、モリーナにが面会に呼ばれて、その面会自体はコミカルに進んでいくのに対して、真横で胸をドンドンって抑えて我慢している(=「人間の尊厳」の象徴)のヴァレンティン。負けないようにと、壁に持たれて体育座りで涙を浮かべぼーっと空を見つめているヴァレンティンさん、ぎゅって抱き締めて髪をなでなでしてあげたいよ~。。。
マルタへの手紙書かせるシーン
「闘争」というアイデンティティが我慢すること、耐えることを支えるんだけど、本末転倒になってるのが皮肉。自分の健康が大事で、命が惜しい、死にたくない、でもそれは闘争のためなんだけど、好きな人に会いたいという本心が明らかになってきて、人間らしくて可哀想でたまらない。この革命家としてだけでなく好きな子への純粋な気持ちとか孤独が表に出てきて、手紙という方法を媒介してだけどモリーナに伝わったのが、モリーナの気持ちの変化にも影響してるんだよね。手紙を破るのは今も闘争の最中で、そういう恋心とかは抑えなきゃいけない、ってことなのね。
あぁもう、その身体にはちみつ沢山かけてあげたい~~♥かわいい~♥
とにかく終始痛いとか痒いとかお腹空いたとかで不憫で元気がないヴァレンティンさん、真綿で包んであげたい欲。
で、これはくだらない話なんですけどくだらなくないので書きます。
ヲタクとしてぐっとくる台詞w
「ふくれんなよ馬鹿野郎」「今キスしてほしい?」「怒るよ?」「言ってごらん」
なんか、もっとあったかも。今覚えてるのはこれ。現代劇でっぽくて萌える、なんなら携帯小説ばりのキュンキュン台詞…。。
言い方も、柔らかくてそれまでのドスドスした話し方と違うからキュンとくるよね!
対して「恥ずかしい」「ちょっと、恥ずかしい」
これ現代劇ではなかなかない台詞だよね、恥ずかしいって、あるとしたら抱かれてる女側の台詞じゃん~~~ひんんんんんはずかちいヴァレンティンたんきゃんわいいでちゅね~~~~~!!!!!!
最後に、初日を見た後に考えた私的テーマについて
1どうして情後、モリーナはヴァレンティンに同化したのか。
2どうしてモリーナは所長に一週間後別棟に移ることを提案したのか。
3どうしてモリーナは伝言を頼まれたのか、身を投じた理由。
4どうしてモリーナに出所後人間の尊厳を保つように願うのか。
結構答えはシンプルかもしれない。
初日後あのブログを書くまでに時間が空いたのもあって、断片的に思い出してたから深読みしすぎたかな。というか、台詞のなかにきちんと答えがあった。笑
1 危険が無いと感じたから。
それで二人の結論は出ているんだけど突き詰めればそれはつまり二人で一つの事に集中したからなのかな。共同作業って言うとなんかあれだけど、ずっと同じ部屋にいて時間を共有していた二人が、セックスの時はもちろん大好きなモリーナとそうでもないヴァレンティンの相違はあるけど、一つになったことは間違いない訳で。だからその「熱中」が他のことを考えなくていい、お互いにお互いを無心に必要としているっていう部分と物理的な人肌の安心感で、束の間だけど「気が休まって」危険から切り離されていたのかな。
2 鞭で拷問すると言う上層部からの命令を聞いて咄嗟に出てきた、言わばその場凌ぎの提案。一緒にいたい、という自分のための願望ではなくて、ヴァレンティンがかわいそう!っていう気持ちで口走ってる感じかな?そのあとどうなるかとか、考えがあって言ったっていうよりも。
3 政治的革命思想に感化されたわけではない、けど人間の尊厳を保とうと思ったのがベース。ただ行動に移す勇気が出なくて、逃げきろうかとも考えた。神様に誓って母のために生きるって、そのためにはどんな犠牲も厭わないと決めたから。でも自分に唯一愛をくれた母親、だからそのために生きようと思ったのに、ヴァレンティンが同レベで浮上してきちゃう。
そこに恋心、愛情があるから行動に踏み切った。ここを出たらもう会えないとわかっていたから後悔したくないと思ったのかな。だから、蜘蛛女にとっての「キス」はその行動に移すエンジンだったのかな。電話番号を聞くきっかけとしてはやっぱり「キス」。
でも、原作では自分が警察に捉えられたら殺してくれと『自ら同志に頼んだ』という記述はなくて、結果としての死。
モリーナは本当に死んでもいいとまで思ったのか?もちろんその覚悟がないとできないことなんだけどさ。セックスしたあとにはその余韻のまま死にたいというようなことを言ってはいるけど、現実的に母親と映画を見て、幸せなはずなんだから。きっと、うまくいくって希望を持ってたんじゃないかな。危険を犯して彼のために行動をするという点ではロマンティックに憧れる乙女なモリーナの部分故もあると思うけど、それだけで母親を差し置いて命を捨てていいというところまでいかないような。ヴァレンティンは「やり方さえ間違えなければ大丈夫」って言うしね…
それとも原作にはない部分を足したのは、モリーナが死を受け入れている、崇高な死を望んでいるということにするためなのかな。
どちらにせよ、現実ではそれを知らないはずなんだから、やっぱりそれをヴァレンティンが語るのは悲しいけれど救われる。いや、救われるのか?もしかしたら、知らない方がよかったんじゃないかな?わからないけど。それにしてもモリーナのお母さんが可哀想すぎるね……。
4これも愛情故。
社会的弱者がその立場に甘んじているのが許せないという理念があるとはいえ、ただ牢獄で同室になっただけの相手にはそこまで強要しないよね。けど、モリーナに感謝、そこからマルタへの恋心とは違う種類かもしれないけど、愛情を感じたから、モリーナにも出所後は自分が思う「正しい姿」で生きて欲しいと願うんじゃないかな。お餞別のキスを頼まれたときの「わかった」の言い方、初日より間がなくて躊躇なく出てるような感じだった。そのキスのあとにもセックスしたあとと同じような「ありがとう」「こちらこそ」ってセリフが出るの、ぎこちなくて、切ない。
互いに、監獄を出たらもう交わらないことを分かってるから(モリーナは伝言を頼むことでヴァレンティンの出所が早くなるのかと期待するけど、そうでなくてあくまで運動の助けになるだけ)、人間の尊厳を守る、という共通点があることで、牢獄に残されたヴァレンティンにとっての「外の世界の仲間」にモリーナが加わってくれると思った。きっと、更なる拷問を受けている間、敗血症に苦しんでいる間、人間の尊厳を手にして任務を遂行しているであろうモリーナの姿は組織の仲間と同じくらい、彼を生きようとさせてくれるものだったんじゃないかしら。
モリーナにとっての「自分らしく生きる」が結果としてヴァレンティンのための行動で、それが故に死ななければいけなくなるからやっぱり悲しいけど。でも生きる道としは同じだったことを最後のシーンで語り合えるから、バラバラじゃないという意味では救われる。
シンプルかもしれない!と言ったわりに書くとぐだぐだになるやつ………
次回のテーマは、ヴァレンティンの気持ちの変化をもっと感じとりたい!
モリーナは分かりやすいんだけど、ヴァレンティンは気難しいっていうかなんでここでその感情になったんだろう?なんで今それ言うの?みたいなのが多くて、もっと全体で見ないといけないかなって。
まぁ基本体調悪いし、情緒不安定なのがヴァレンティンだから、理解なんてできなくていいんだろうけど。なんなら本人もわかってないし。
この舞台何かが起きてはっきりした起承転結があるというよりも、二人の気持ちの変化自体がストーリーだから、熱中すると余計に頭がこんがらがっちゃう。特にあとからこうやってちょこちょこ思い出しながら書いてると、あー、あの台詞なんだっけ?あれのあとだっけ?みたいに順番もごっちゃになっちゃうんだよ。。
一つ言えるのは、忠義ちゃんの演じる作品で、これだけ内容に集中して考察できるのが幸せ~!
今まではどうしても「自担の演技」が気になって、そこまで考えられなかった…。忠義ちゃんが演じた役柄にこれだけのめり込めるなんて、始まる前は思わなかったよ!
きっと、ここが変わった!この時の動きが!とかいう演技の善し悪しばかっかり出てくるだろうなって、そう思ってブログも開いたんだけどね。想像以上に、完璧なヴァレンティンなので、ここまで物語を深く追求出来るんだと思う。
忠義ちゃん、こんなに蜘蛛女のキスという作品に熱中させてくれてありがとう!!!!!!
蜘蛛女のキスの初日を見た。
自担の舞台が決定し、ついにわたしもはてブロデビューか・・・!?と思いつつ、普段140字でもフルで書いている今の私がブログなんか与えられたらどんだけ書くの?という不安で二の足踏んでいた訳ですが。
初日を見た感想がやっぱこれ140字じゃ足りないわ。
ってことで友人の勧めもあり開設してみました~!
なんですが、初日の感想の前にわたし的「自担の舞台」について書きます。
数年前から他メンバーのソロ舞台が定番化し、忠義ちゃんは所謂「ドラマ班」として活躍していましたね。
個人としての知名度が上がったのは映画やドラマにちょこちょこ出ていたのと太鼓の達人の時期が被っていたのもあると思うけど、
やっぱりソロ仕事があるのがとても嬉しかった、
けど!!!!
錦戸くんのような道を進んでいくのかなぁ、でもやっぱり俳優としては錦戸亮くんの方が技術的に評価されているんだろうし、それよりコミカルな演技が多いけどそういう枠なのかな、
グループの中で二枚目路線でやっていくような雰囲気の割には、他メンバーが舞台で演技を磨いて映画やドラマで「良い俳優」として評価を得ているよね、
ソロでライブできる人もいる、MCとしてレギュラー何本もこなせる人もいる。
じゃあ忠義ちゃんはどこでがんばるの?
という漠然とした「自担のグループの中での役割」が確立されていない不安がありました。
もちろんグループでいるときの役割はグループに加入した時から良くも悪くも確立されていたしコンサートとか見ればそれはよく分かる、
ただその「キャラ」ではなく「ソロの仕事」として、忠義ちゃんは何に重きを置くんだろう?という不安。
『唯一無二の武器』があったほうがなんてのはちょっとハードルが高すぎるかもしれないけど、
軸がほしいよね、という感じ
ジャニーズの先輩グループってメンバー個人のそれがあるからグループとして輝いていると思うんですよね。
で、昨年の疾風ロンドが大倉担としては久しぶりのソロ仕事。
ザ・イケメンという役柄だけど、
正直な感想「存在感薄くない!?!!?」二番手に名前がある割にはセリフ少ないし・・・
完成披露試写と舞台挨拶の衣装と髪型が100点だったので満足はしてますが、作品として、役として、演技の面ではもうちょっと頑張って欲しかったなぁと思うわけです。
これ、大奥も100回泣くこともクローバーも思ってたこと。
三毛猫とかお天気お姉さんとかドS刑事とか(奇しくも全て刑事)のようなコミカルな役の方が見てて気が楽でした。
シンデレラ、ヤスコとケンジなんかはもうかわいいかわいいで充分だし、そこまで期待もされていなかっただろうし…
あ、間をとって(?)はなちゃんのみそ汁はいいナチュラル感で好きです。
いや一個一個遡ってたらキリがないんだけどw
とにかく私は忠義ちゃんのソロの仕事自体は大歓迎だけど、演技は見るのが苦手だったわけですよ!そういう大倉担少なくないんじゃないかなぁ?
見ててむず痒くなっちゃうんだよね。
だから譫言のように「もう一度SHOCKに出てくれ」(ドリボは存在感が薄かったので評価も何もないけど、Endless SHOCKは相当しごかれたのか結構いい演技をしていた)「グローブ座主演やってくれぇ」なんて言ってたけど、実際やったら耐えられないだろうなwと思っていた。
で、発表された蜘蛛女のキス。(やっと)
横山くんと安田くんの舞台が羨ましいなぁと思っていたら、同時期に忠義ちゃんもやるなんて。思いもしなかった、まさか忠義ちゃんが?念願のグローブ座!!?!?!?!??!
嬉しさと不安でいっぱいで(演技の面だけでなくチケット取れるのか?というのも含めて)
とりあえず発表された日、会社帰りに某大型書店に行き原作を買った!読んだ!
原作自体が戯曲でありほぼセリフなので舞台は想像に難くなかった。
でも、これを忠義ちゃんが?
どちらかというとモリーナ(相手役)寄りでは?
結構きわどいシーンあるけど、どこまで見れるの????
など頭が混乱。
そして当落で心臓がもげそうになりながらもなんとか行けることになったわけです。(関係各所ありがとうございます)
公演が近づき各種雑誌のインタビューを読み、稽古前のもの、稽古初日のもの、稽古途中のもの、ラジオやジャニーズWeb連載の本人の言葉。
ひとつひとつ、舞台にまつわる言葉を聞けば聞くほど楽しみよりも心配、不安な気持ちが優っていった。
雑誌で同時期に舞台をやる横山くん、安田くんと3人で話しているのとか、明らか一人だけ話す量少ないし、
特にラジオかな?番組終了間近でぽつぽつと不安を漏らす忠義ちゃんの声が聞いててしんどかった~。。
で、私の中で結構重要なポイントがビジュアル。
いやロン毛ウェーブにデコ出し、ボロボロの服、極めつけの髭……。
ビジュアル公開されたときは正直「私の好きな忠義ちゃんじゃない!」と思ったね。
そしてついに迎えた初日。
MAX体調不良の声ガラガラの中、開演前に友人らと会って気持ちを落ち着けて、入ったグローブ座。
考えてみればグローブ座は昔知人に誘っていただいたイノッチの「ハンブルボーイ」とヅカヲタ時代に贔屓にしていた貴城けいちゃんと生田斗真くんの「ヴェローナの二紳士」以来3回目。
あぁここに居るほとんどが同担なんだなぁって思ったら嬉しくてうきうきわくわくした。
「みんな!!!忠義ちゃんの舞台決まって嬉しいね!!!!初日緊張するね!!!!!頑張って見届けようね!!!!!!!」っていう変な仲間意識芽生えた。友達に話しかけてきた友達(紹介されてない)に初対面でガラガラ声で思わず話しかけ、無視された。テンションがおかしくてすみません。
席に着き死ぬほど緊張して汗がだらだら垂れてきたけどタオルで拭って双眼鏡を構えた。アコギのBGMが大きくなり、暗転から始まり、客席の緊張感がすごい。
まずはいっけい氏のセリフが続き、ヴァレンティンの一言目の
「目の色は!?」
が暗転の中に響く。
この時点で心臓がばくばくした。
でもこのばくばくは、
「忠義ちゃんがグローブ座に立っている」
ことではなくて
「うまい」
という感動からだったと思う。
雑誌で演出家の方に怒られたい、指導してもらえるのが楽しみと語っていた忠義ちゃん。これまでの演技とどれほど違うのかという期待を裏切らなかった。滑舌も発声も舞台仕様。やればできるんじゃない…(感涙)
そのあとのモリーナの「きっと、グリーン。」
に(はは、よりによってグリーンか)とか思う私。
まぁとにかくそこには、原作で読んだヴァレンティンがいたんですよ。私は開演する今の今まで、「自担の舞台が始まるぞ」という気持ちで意気込んでいた。前日の夜は2008年10月10日のソロコン前夜のことを思い出し当時の緊張との違いを考えたりした。
けど、蜘蛛女のキスという舞台は確かに自担である大倉忠義さんがそこに立っているんだけど、そこにいるのは紛れもなくヴァンレンティンで、忠義ちゃんはいなかった。
不安に思っていたビジュアルもヴァレンティンだから、まったく気にならなかった。めちゃめちゃ色っぽいし、ありだな、ヴァレンティン。。。。
そして私はいつも見ている忠義ちゃんの舞台を見に来たんではなくて、
『蜘蛛女のキス』という演目を見に来たんだなあと思った。
でも時折見せる「ニカッ」って笑う笑顔とか、口喧嘩に負けて「ハッハッハ」っていう笑い声とか、オートミール勧める時の「ハハ!太るのが怖いんだろ」に大倉忠義ちゃんみが垣間見えてかわい~♥ってなった。
コンデンスミルク舐めて「ん~!!!」とか言うのあれは狙った???笑
このへんで一発かわいいほっこり大倉くん入れときましょう、的な演出指導あった???
だってヴァレンティンさんにしてはかわいすぎるだろ。
他にも(ここ笑っていいの?)な場面で観客からちょこちょこ笑いが起きてたのが印象的。
雑誌では少し笑えるところもありつつ、と言っていて、
いやこんなシリアスな劇のどこに笑い要素があるんだよ、と思っていたんだけど、確かにあったw
下痢して足をクロスさせてもごもごでてくるところとか、その場面をウケ狙いでやるのかwと思ったし、
モリーナの冗談にヴァレンティンは無反応でも観客が笑ってるというのが何箇所かあって、その辺は笑いが起きると思っていなかった部分な感じがした。
(初日後の生放送ラジオで言及していたのがそれかどうかわからないけど)
静かなシーンが多くて見てるこちらも体を強ばらせているようで、途中と途中の暗転で、観客が深呼吸したり姿勢を正したりするのが、いかにも初日って感じだったなぁ。だからそういう笑えるセリフとかがあるのは緩急がついて逆に良かったのかも。(パンフでその点についていっけい氏が言及していましたね)
それは忠義ちゃんといっけい氏の息があってるからこそ醸し出せる雰囲気なんだろうな。
加えて全体を通して思ったことをいくつか。
忠義ちゃん自身がモリーナ寄りの、夢に向かっていく情熱だけでなく現実を見る冷静さを持ち合わせた人という印象だったから、
雑誌で言ってた「当時の歴史、宗教、政治背景を勉強してヴァレンティンを理解した」が必要だったんでしょう。きっと自分とは正反対のキャラだもんね。
モリーナも観客も置いてけぼりと言わんばかりの理想へ向かって暴走する革命家にになってた。声を荒げるシーンも。たまにうわずってたけど(忠義ちゃんあるある)机投げたり床どんどんしたりの音に迫力があって鬼気迫るヒステリックさがよく表現されていたと思う。ヴァレンティンの方が女っぽいんだよね、こういうとこ。
それ以外も多分原作よりモリーナと年の差があるので少しヴァレンティンの幼さみたいなのが出てたような印象。
モリーナとヴァレンティンは二人共理想主義なことには変わらないけど、
モリーナは年の巧もあって現実を見据えた上でのロマンチスト。
ヴァレンティンはマジで現実を変えようと思っている革命家。
多分これは同志と一緒にいるから、且つ今孤独で余計に考えが凝り固まるからなのかな?ヴァレンティンだって諦念を持ち合わせていなくて自分の理想に固執しているくせに、モリーナの夢とか理想は馬鹿にするし。ちょっと子供だよね。
なんかヴァレンティンって矛盾してるところ多いんだよね、一夫一婦制を信じないとか言うし、結局荒ぶるとモリーナのこと「よせこの男娼野郎!」とか言うし、股間弄って「俺は男だから」とか言うし、傷つきやすいモリーナを「女みたいだ」と言いかけたり、実はモリーナの性癖を見下していて、自分が男であることに誇りを持ってる。モリーナは女そのものなのに対して、結局誰よりも性にこだわっているのはヴァレンティンじゃん。本人はその気はないんだろうけど、潜在的に。
なのに、どうしてヴァレンティンはモリーナに終始「搾取されてないでいること」、を求めたんだろう。革命グループに入ることを勧めるのは孤独を感じさせない為という流れだけど、出所後のこの約束はなんでなのかな。これは次見るときに注目しよう。
あと注目のセックスなんですけど。
キスはなしで、ヴァレンティンにとってはもちろん時間を共有することでモリーナへの嫌悪感が薄れたというのはあるだろうけど、自分本位で相手を喜ばせるためでもなんでもないもの。セックスしてはいるし、互いに同意の上ではあるんだけど気持ちがすれ違っている、というのが切ない。
きっとヴァレンティンのことを考えて、自分を押し殺したからこそ、「妙なことに」モリーナはヴァレンティンと同化したのかな。この辺も次回考えたいとところ。
情後、終わりの「私はあなた…」という、二人のセックスがなんだったのか賢者タイムにふわ~んと考えさせられる雰囲気なの良かった。
しかしこのセックスのシーンは一部演出が見づらいお席があります的なことにしたんだろうか?カーテンを閉めてあげるというヴァレンティンの優しさ故か?まぁそういうことにしておきましょう。
演技として特に印象に残っているのは、痒い痒いになってしまった後、恋人を思い出してモリーナに手紙を書かせるシーン。
「ラインストーンは知ってるからもういい!!!!!」だの、「この筆箱使えって!!!!!!」などと怒鳴り散らしかと思えば、「死ぬのがとてもこわい…」とポエマーと化すヴァレンティンさん。
人って風呂に入らないとこんなに狂ってしまうものなのかよ。めんどくさくても風呂入んないとだめだな…。
まぁその声の抑揚もすごいんだけど、だんだんそれが震えて、本当に語りかけるみたいに話して、これまでとは違う恋人向けの表情になって涙が目に溜まっていってね、
「少しは君の中に僕が残っているだろう?」の声なんてもうかわいそうでたまらなくて(´;ω;`)もう完全に恋人向け、これが本当のヴァレンティンの弱さであって、本当の姿なのかもね。
そこからタオルでふきふきしてもらって。「フフ・・・・」と不敵な笑みを浮かべるまでの流れ、
すごい~~~~~忠義ちゃんすごく上手~~~~~~~~~~~!!!!
と心の中で拍手喝采しました。
これまでの泣きの演技はなんだったんだよ……と言いたくなった。。
しかし一人ぼっちだの孤独だの言い連ねてそれをメモらされるモリーナかわいそうだよね。
それと人に指図するのが嫌いなんだ、とかいってフルーツケーキぶん投げてキレ散らしたあと。「恥ずかしいよ、こんな獣みたいな真似して」と秒で反省するヴァレンティン。
本で読んだときはあんまり思わなかったけど、実際の声で聞くと不自然がすぎる。けどこの不自然な情緒不安定さが、「いかにヴァレンティンがパニックになってるか」ってところなんだよね。
モリーナは相手のことを思って行動する人だし、ヴァンレンティンの恋心を抱いているのもあるけど、女性らしく、甲斐甲斐しくお世話もしてくれる。とにかくヴァレンティンの組織の話を耳にしたくない、というスタンスでその出所して母に会いたいというジレンマと戦っているんだけど、どうして自ら別棟に移れば不安になるかもって提案するんだろう?その場で口走っちゃっただけ?だってヴァレンティンとは離れたくないのに。これも次考えないとなぁ。
あと最後の出所前のシーンがとにかく泣けるんだけど、これは多分ここがヴァレンティンとモリーナの関係の最終系だと思うから。
ヴァレンティンはモリーナが出所すると知って仲間に伝言を頼める!と浮き足立ってこれまた自己中にモリーナをまくし立てるのがいかにも利己的、自己中でとても良い。
キスを頼まれて「・・・わかった」と言うのは、ヴァレンティンの優しさ故というか、感謝(映画を語って気分を紛らわせてくれたこと、下痢の処理をしてくれたこと、食事を提供してくれたこと等)というか、言ってしまえば頼まれたので仕方なくという部分がありそうな言い方でちょっと切ない。
そして「次は君が約束する番だ、 誰にも君を利用させないと、約束してくれ」って、一番利用しようとしてるのはお前じゃん!!!っていうね。この辺もヴァレンティンやっぱり自己中。
で、それまでの笑顔がラストシーンには切なく儚く悲しく映るんだけど。お互いの最期をそれまで映画のストーリーを語っていたかのようにキラキラした顔で語るの、涙で余計に目がキラキラしているのがね、警察が暗号じゃないかと疑う友達の名前を言う時の顔なんか最高にかわいいの。
きっとバラバラに迎える最期を一緒に語ることで、それを「共有」することに意味があるんだと思う。モリーナが所長と面会するシーンも、ヴァレンティンがそこにいる。泣きながらぼーっとしたり、投げつけたフルーツケーキを拾ったり、別世界なんだけど二人は同じ時間を共有しているんだよね。
けどその酷い最期を笑顔でお互いに語ることで共有できているのは、ハッピーエンドというのか、ハッピーではないんだけど、二人の気持ちが一緒であることは良かったと思える。
でもモリーナが語るヴァレンティンの最期はマルタが出てくるところが切ない。
モリーナは母親にしろ、ヴァレンティンにしろ、大切な他人のために生きる人。
モリーナは「あなたは理想のために戦っている、利己的じゃない」「私は母に大切にされたいから、大切にする」と言うけど、モリーナはもうヴァレンティンに会えないし大切にはしてもらえないのわかっているけど行動に移すのよね。
きっと人間の尊厳を手にしたから、気高い理想の革命思想に共感しからではなく、出所前のキスで「この人のために行動しよう」と思ったからなんじゃないないのかな。
ヴァレンティンはそれをわかってるからこそ、番号を教えてと言われて思わずキスするんじゃないかなって。でも、ただ映画のヒロインような最期を迎えたかったからだと、それをマルタに語らせるからずるい、もちろん答えは本人しか知らないと明言しない。
一方モリーナはヴァレンティンが死んだとは直接言葉にはせずに、夢の中で同士と戦えて喜んでいる、と。ヴァレンティンの夢は『マルクス主義の社会』ではなくて「戦う」というアイデンティティであって、それが人柄だって本人よりもモリーナがわかってたのかもしれない。
「短いけれど幸せな夢なのよ」というモリーナの最後のセリフ、 きっと二人にとっての時間は短いけれど幸せな夢だったんだなぁと思ったらどうしようもなく涙が溢れてしまった~。
そしてふたりが天国のような白い扉から出てくる。
その時、やっと大倉忠義さんがそこにいた
あぁ、あなたを応援していて良かったぁ
単純にそう思ったよ!
これ、現場で忠義ちゃんを見るたびに思うこと。
いつでも新しいことに挑戦する姿を見せてくれる、そんな人を好きになれて良かった。
他のメンバーやグループと比較したり、やきもきするのそれ自体は仕方ないしくだらないとも思わない。
でも不安に思っていたのがバカみたいに、忠義ちゃんは立派な姿を見せてくれた。
きっと本人の努力と運と両方だと思うけど、
私はこの人のすすむ道をただ応援するだけ、たまに文句も言いながら。
でもこの「蜘蛛女のキス」、文句ひとつないソロ仕事だった!!!!
だから私は幸せ、こうやってどんどん新しい顔見せてくれるの、本当にこんなに応援していて楽しい人はいない!
しっかしま~~~~この舞台、
そんな高尚なことを考えながらも、
いかんせん露出が多い!!!!!!!
基本裸足だし、四肢が露わになりすぎだぜぇ。。。。。。
しっかりと足の裏、くるぶしの筋、内もものお肉、鎖骨、背骨、乳首、肋骨、口の中、セックスするとき喘ぎ声、足の動き(横に並ぶ→跨る→開く→ゆっくりピストンする→早くなる→つま先が反る、項垂れる※意外と早い、多分10秒くらい)
を目に焼き付けました。
セックスは下手寄りだったので腰の動きまでは見えず。正直カーテン引きちぎりたかった。足の動きしか見えなかったけど、二人の関係性、気持ちがすれ違っているセックスに涙を流しながら、しかし自担の喘ぎ声に性的な興奮を覚えるという未開の地にたどり着いてしまった。なんだここ、ジャングルかよ。
ズボンを脱ぐ、チキンを貪る、歯を磨く、パンにバターを塗る、っていう自担の生活感のある動きを生で見られるのも興奮した。
私は所詮クソみたいな萌豚ジャニヲタなのでこの際隠さず言うけど、セリフよりも顔と体に集中してしまう場面がいくつかあった。特にモリーナの映画の語り部分、ベッドでうねうねしているとことね。あんまり席が良くなかったで双眼鏡でヴァレンティンの一挙手一投足を見ていた。原作読んでたからよかったもののね、読んでなかったらなんのこっちゃわからなそう。
次回も上記の不明点を見るだけでなく、体を見ます。私は体を見ますよ!!!!!
案の定長くなった~~~!思いが止まらない!けど止まらない思いを書き連ねるのも悪くないね、
ってことで明日二回目見てきますので。それまでに書けて良かった。
終わり。